2026年2月5日木曜日

「心詞かけたるところなき」歌、在原業平・ちはやふる・・・」

■ 2026-02-05
■ 藤原満基「百人一首抄(応永抄」に「心詞かけたるところなき」と、在原業平の歌を評している。
■ 「完璧な」歌ということか、納得だ。

「神代も聞かず」「絶世の」紅葉のように美しい「あなた」を浮かべて竜田川が流れているように、私はあなたを愛し続けているのです。

■ 二条の后、即ち、藤原高子の顔を見ながら、公には言えない、愛の心を紅葉にたとえて詠んでいる。
■ うまいものだ。

何回か書いてゆくうち「ほんとうの」歌のこころを知りにけるかな


■ 2026-02-05
  • 春過ぎて 夏は来にけり 白栲の 衣干したり 雨之香来山 
  • 夏過ぎて 秋は来にけり 枯葉散る 秋の心は 愁いなりけり
■ 多すぎる 言葉はいつか 消えるだけ

2026年2月4日水曜日

日々は過ぎ 季節は巡る 人の世よ 何にしようか 今日の夕餉は

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■ 2026-02-03
日々は過ぎ 季節は巡る 人の世よ 何にしようか あしたのめしを

「甘納豆は女子大生でしょう」

■ 2026-02-04
■ 今朝の日本経済新聞に、「現代俳句大賞に坪内さん」という記事があった。
■ 昔、句会で、「甘納豆は女子大生でしょう」と言ったら、
■ 佐々木さんに、「先生はそんな人ではない」と言われた。
■ 思いがけない反応に「そんな人」とはどんな人なのか、と思った。
■ 三月はそんな季節なのだ。
■ 若草山の野焼きに発想したようだが、
■ 「たんぽぽの ぽぽのあたりが かじですよ」?、こんなのどうか、に対し
■ 「きわどいですな」と深澤さんが鋭く言った。
■ もちろん、これは「ぼぼ」をさしてのことだ。
■ いつだったか、正岡子規の「柿食えば鐘は鳴るなり法隆寺」は「二句一章」だとか言うから、あの頃は腕時計もないから寺の鐘で時刻を知った。「山のお寺の鐘が鳴る」とか、芭蕉の「鐘は上野か浅草か」、とか「お江戸の本橋七つ発ち」など、俳句は、歴史的背景を知らなければ、理解できない、と言ったら、おこりだした。
■ 正岡子規はユウモアのある人で「腹時計」を句にしただけで、腹が減ったので柿を喰ったら、ちょうど3時のおやつの鐘が鳴った、という句だと思われる。
■ カバは自分で、サイは細君、ジャリは子供、・・・河馬、馬鹿、珍鈍屋、と囃す言葉もあったなあ。
■ いつだったか、「受けを狙った変な句」作る人でしょ、と言われて、まあ、そういうこと、みんなそういう風に思っているのか、と納得した。
■ しかし、抒情的ないい句も作っているのに。

2026年2月2日月曜日

中文>英文>日本文


■ 2026-02-22
■ 以前、・・・
■ こんな歌を作っていた。
■ 今回は、・・・
■ 嵐の音読みは「ラン」、訓読みは「あらし」
■ いつから、あらし、に「嵐」という文字を使うようになったのか。
■ やまおろし、やま・おろし。
やま・おろし
やま・あらし
■ ・・・
■ 漢詩の場合、直接でなく、中文>英文>日本文、このようにした方が意味的には正確になるかも。