■ 2025-12-29
■ 西村和子のことを書いたので、そのころの俳句など振り返ってみた。
■ ひとりよがり、の俳句にならないように、行ってみたら、と言われて行ったのが1995年のことだった。「千里3号」に「遊水」、「千里4号」に「遊水2」
「遊水3」を掲載
■ 以前から雅号「遊水」を使用している。
■ いつだたか、講師の一人が言った。「みなさん俳号をつけなさい」
■ 「わたしは、昔から、遊水、ですよ」
■ え、そうなんですか、と、・・・
■ いわゆる本名は人から与えられたもの、それとは別の「本名」
■ ・・・
■ 本棚に並んで詩のアンソロジー「恋」があった。
■ 白倉さんがくれたものだ。
■ みると、「千僧小景」があった。
■ 「千僧」は、せんぞ・兵庫県伊丹市の町名であったことを今、知った。
■ ・・・
■ さて、「遊水2」にこんな句をあげた。
■ 「これは詩であっても、俳句ではない」と、夏秋さんだったか、が言った。
■ その通り、だから「遊水」なのだ。
■ もちろん「遊水」という言葉でなくてもいい。
■ 短歌、とか、俳句、とか、川柳、などという分類がまずあるのではなく、ことば、がある。俳諧、俳句、から「諧」や「俳」を捨てて、ただ、そのままの「ことば」としてあればいい。