2026年1月3日土曜日

くびてくび あしくびぬくめ ふゆのひび  遊水


■ 2026-01-03
■ 雪国で、布でぐるぐるまきにした湯たんぽを差し入れてくれたことを思い出す。
■ 新製品なのか、「まるでこたつ おやすみスイッチ」
■ なるほど。
■ なぜ、こんな話しになったのか、俳句をひとつ、と思ったからだ。
  • 首手首 足首温め 冬の日々  遊水
■ 新春だからと言って、・・・
■ 俳句なぞ無理して作ることもなく日々の暮らしをそのままに書く。

2025年12月30日火曜日

俳句能、癖にする

■ 2025-12-30
■ 俳句は無理に作らない。
■ 例えば、さっき、洋梨を食べた。
■ ただ、うまかったではなく、575、にしてみる。
  • 洋梨や きりょうよしには あらずとも
■ ・・・、もう少し、なんとかならんか、と思いつつ。

2025年12月29日月曜日

年の瀬や みんなどうして いるだろう、と、俳号のこと。

■ 2025-12-29
■ 西村和子のことを書いたので、そのころの俳句など振り返ってみた。
■ ひとりよがり、の俳句にならないように、行ってみたら、と言われて行ったのが1995年のことだった。「千里3号」に「遊水」、「千里4号」に「遊水2」

「遊水3」を掲載

■ 以前から雅号「遊水」を使用している。
■ いつだたか、講師の一人が言った。「みなさん俳号をつけなさい」
■ 「わたしは、昔から、遊水、ですよ」
■ え、そうなんですか、と、・・・
■ いわゆる本名は人から与えられたもの、それとは別の「本名」
■ ・・・
■ 本棚に並んで詩のアンソロジー「恋」があった。
■ 白倉さんがくれたものだ。
■ みると、「千僧小景」があった。
■ 「千僧」は、せんぞ・兵庫県伊丹市の町名であったことを今、知った。
■ ・・・
■ さて、「遊水2」にこんな句をあげた。
  • とうとうと ゆきのだいちを ながれゆく  遊水 
■ 「これは詩であっても、俳句ではない」と、夏秋さんだったか、が言った。
■ その通り、だから「遊水」なのだ。
■ もちろん「遊水」という言葉でなくてもいい。
■ 短歌、とか、俳句、とか、川柳、などという分類がまずあるのではなく、ことば、がある。俳諧、俳句、から「諧」や「俳」を捨てて、ただ、そのままの「ことば」としてあればいい。

芭蕉、と、アンデルセンの人魚


■ 2025-12-29
■ 今朝の「絶望名言」でアンデルセンの人魚は海にいるから涙を流せない、悲しいのに泣けないのは悲しすぎる、こんな話をしている、ようだった。
■ まあ、そういうことだ。
■ それで思い出したが、昔、奥の細道を何度も読んで、色々書いた。旅から帰り5年もしてから、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」これを矢立の始めとして、などと書くところに松尾芭蕉のあざとさが見える。
■ 魚が涙を流すはずはない。
■ 支援者の一人、杉山 杉風は江戸日本橋小田原町の魚問屋だった。
■ 「魚」は「杉山 杉風」。自分のこと俳句に書かれ悪い気持ちはしないのだ。
■ 芭蕉の品性が嫌だ。

2025年12月28日日曜日

回顧2025、娘から電話があって笑ったわ お料理の歌・折々の歌 遊水


■ 2025-12-28
■ 日本経済新聞2025-12-17,俳句の欄に、西村和子・素秋、がとりあげられていた。
■ 千里中央・朝日カルチャー・俳句教室?での話
■ 西村和子は季語の話などしていた。
■ 不在の時、大岡 信から電話があった、という話を聞いたのを思い出した。